日本テレビ退社後、フリーアナウンサーとして活躍している宮崎宣子さん。
2021年に10歳年下の男性と結婚し、2023年7月には妊娠を発表。
10月に第一子を出産されたばかりの宮崎さんに、不妊治療の経験について語っていただきました。
PROFILE
2002年、日本テレビに入社し、アナウンサーとして
『ラジかる!!』『ザ! 世界仰天ニュース』などの
人気番組を担当する。
2012 年の日本テレビを退社後は、
フリーアナウンサーとして現在も活躍中。
その傍ら、2017年にハーバルセラピストの資格を
取得し、2018年、純国産オーガニックハーブ
ブランドのEMARA 株式会社を設立、
同社のブランドプロデューサーを務める。
後悔しないようにと駆け込み的に不妊治療を開始
「もうそういう未来はないんだろうなと諦めていましたが、そんな時に今の夫と出会いました。
私が後悔しないように、と背中を押してくれたのも夫です。
子どもを望むなら最後のチャンスかもしれないと思い、不妊治療をはじめました」
駆け込み的な気持ちで不妊治療をスタートさせたという宮崎宣子さん。
ご主人は、「できたらうれしいけどできなくてもいい。
後悔しないようにできることをやろう」いって、宮崎さんにプレッシャーをかけないように寄り添ってくれたとのこと。
宮崎さんは2022年から早稲田大学大学院の経営管理研究料に在籍していました。勉強をしながら不妊治療を続けていましたが、思うような結果は得られず悩んでいたそうです。
「ずっとやりたかったビジネスの勉強にのめり込むにつれて、本当にこれでいいのかと中途半端な気持ちでした。
そんなとき友人から『勉強は後からでも遅くない。ゆっくり身体を休めながら、不妊治療に専念した方がいいのでは? 不妊治療ができるのは今しかないんだよ』とアドバイスをもらい、はっとしました。
勉強に打ち込むことで、結果が出ない不妊治療から目を背けたいという思いがあったのかもしれません。友人の言葉をきっかけに、しっかり向き合い、やれることをやって、終わりを決めようと思いました」
- 2021年41歳
不妊治療を開始
- 2021年12月42歳
結婚を発表
- 2022年42歳
早稲田大学大学院経営管理研究科入学
- 2023年7月43歳
第一子の妊娠を発表
- 2023年10月44歳
男の子を出産
乳癌健診で再検査になり不妊治療を中断することに
宮崎さんは大学院を休学して、不妊治療に専念することに。「でも、なかなかうまくいきませんでした。やってもやっても妊娠できない。何度もお休みしたり、気分転換もしましたが、いつまで続けたらいいのか……終わりの見えない絶望感を感じていました。
そこで、思い切って期限を決めることにしたんです。
大学院の秋学期を最後の不妊治療の期間と定め、これでダメなら二人で生きていこうと決めました」
ところが、不妊治療を中断せざるを得ないことに……。乳癌の健診で再検査となってしまったのです。
「不妊治療と乳癌はまったく正反対の治療です。もし乳癌だったら、ホルモン治療なんて癌を余計に悪化させることになるわけです。
再検査はコロナの影響もあってなかなか予約がとれず、1か月後に精密検査をすることになりました。その日は、どうやって病院に行ったのかあまり覚えていません。
ただただ検査室に入るのが怖くて、待っている間、隣にいた女性から『ステージいくつ? 私は先月手術したのよ』と話しかけられ、“ステージ”という言葉に鳥肌が立つほど驚き、『これから検査なんです』としか返答できなかったことだけ覚えています。
2週間後、検査結果を聞くときは恐ろしさで冷や汗をかいていました。結果は良性でした。癌研の先生から『不妊治療を再開して大丈夫ですよ。妊娠できるといいですね』といわれましたが、このときは不妊治療どころではなくて、もうとにかく健康であればいい、生きてるだけで十分幸せ、という思いで頭の中はいっぱいでした。
夫も子どもはいらないといってくれてるし、もうやめようと。しばらくは不妊治療の再開は考えられませんでした。
でも、時間が経過して気持ちが落ち着いてくると、検査結果が良性だったのは『治療を再開していいよ、最後のチャンスだよ』というサインだったのでは?とも思えるようになりました」
宮崎宣子さんの授かりポイント
休み休みの治療
2か月続けて治療することはしませんでした。1度やったら最低でも2か月あけて、必ず休憩をとっていました。年齢的にもリミットがあることがわかっていたので、結果がダメだったときに次、また次と焦ってしまい、自分自身をどんどん追い詰めて悪循環になるような気がしたんです。
自分が楽しんでやれるように、気分が前向きになったときに再開していました。だからこそ続けられたように思います。
周りへの感謝
やれることがなくなって、先生からも「もう難しい」といわれたときに、ここまで一生懸命に治療してくれた先生や、ずっと支えてくれた夫に感謝したんです。
そもそも夫と出会えなかったら不妊治療もできなかったわけで、妊娠できることが当たり前ではなく、妊娠できるかもしれないという可能性をもらえたことに感謝しなければならないと思えるようになりました。
これで終わっても後悔はないし、感謝しかない、と治療の期限を決めることができました。
冷え性の改善と血流をよくする
最後の半年でやれることはやってみようと思いました。
どれが効果的だったかはわかりませんが、まずは身体の冷えの改善としてよもぎ蒸しへ通い、妊活に効果的といわれるハーブティーを調合してもらって飲みました。
常に厚手のタイツに靴下を4枚重ね履きして骨盤の歪みを矯正してもらい、腸のマッサージで滞った血流をよくし、子宮に酸素と血液が巡るように体質改善をはかりました。
子供がいなくても幸せな未来を思い描く
自分を追い込んだり責めたりすることがないように、「子どもがいなかったらこうしよう」と二人の具体的な人生を夫婦で語り合いました。
そして、その未来がとても幸せだ、 子どもがいてもいなくても幸せだと思えたとき、肩の荷が下りたような解放感がありました。
二人で期限を決めて最後の治療に挑んだ
「しばらく休息した後、不妊治療を再開しました。でも、やはり結果を得ることができませんでした。治療のほうももうやれることがなくなってしまって……。
夫と二人で期限を決めていたので、その最後の最後の日、クリニックの先生に『これで治療をやめます』と宣言して、治療に挑みました。
諦めの気持ちが半分、もうこれで不妊治療をしなくてもいいんだという安堵感が半分、という気持ちでした」
その後、自身のInstagramで「諦めたときに、妊娠しました。手放すことで得られる何かがあるのかもしれません」と発表。
「妊娠できたこと自体は、奇跡というか運がよかったというしかありません。もうできることがなくなったので、開き直りの境地でした。
どんな結果になろうともこれで終わり。私、よくがんばったよね、と自分自身が納得できたことがよかったと思っています。
不妊治療の最後の半年間だけは、やれることを全部やってみて、自分を納得させて終わりにしようという決意ができたことは大きかったです」
宮崎さんは、さらに当時を振り返り、「不妊治療は終わりのないマラソンのようなものです。
だからこそ、自分でペース配分しないと、精神的にも体力的にも続かなくなります。
辛いときは立ち止まって休んで、また走りたいと思ったらゆっくり再開すればいいと思います。
私の場合は、何度も休んでは再開し、なんとなく走り続けていたら、ここで終わりにしようという期限がみえました。
これが正解という走り方はないんですよね。自分でゴールを定めるしかないんです。
自分が健康でないと何もはじまらないことも痛感しました。妊娠できたらいいけど、できなくても仕方ない。
この人生を楽しまないともったいないと思えるようになりました。
その意味では、乳癌健診で再検査になったことも悪くはなかったなと思います」
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